思うこと ~危機感を煽る風習 1

かんがえる
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予断を許さない、という言い回しがあります。

これが使われるのは、だいたいの場合において
何かの状況が一見良くなってきたとき、
それに気を良くして緊張を解くことを戒め、
張り詰めた状態を維持させようというときのようです。

良くなってきた、というムードが広がるのを抑え、
むしろ、冷や水をあびせることを目的として使われるみたいです。

例えば、会社の業績がずっと悪くて全体の気分が落ち込んでいるときに、
「この先もっと悪くなりそうだ。予断を許さない。」
というように使われるのはあまり多く見ることがありません。。

逆に、業績が上向いてきて、ちょっと一息つけるかな、というとき
「最近の業績は数字上、前期と比べて上昇しているように見えるが、
 一過性の特殊事情による可能性も否定できず、
 また今後業界内での競争が一段を激しさを増すことも予想され、
 予断を許さない」
とか言われます。

そして、予断を許さないから、何なのか?といえば、
「だから、利益は出てるけどボーナスは上げないよー」
とか
「だから、緩めることなくガンガン働き続けてくださいよー。
 早く帰ったり、帰りに一杯やったりではなく、残業ですよー」
と続くわけです。

どうにも、管理する側には都合のよい言い回しであり、
管理される側には憂鬱な使われ方をする言葉のようです。

一般的に、危機管理、と呼ばれる領域では、
常に最悪のことを考えて備えるということは重要です。

しかし、通常の管理において、「危機」であるかのような管理をする、
つまり、365日「危機」であることを演出する、危機感を煽り続ける、
このことが人に与える負の影響、は忘れてはならないでしょう。

スポーツではチームが勝ったときに抱き合って喜んだりします。
あれは、やってる方は勿論のこと、
見てる方からしてもとても気持ちがいいし、自然な姿です。
勝つことを目的としていろんな努力をして、それが報われた瞬間だからです。

企業でも、従業員一人一人には生活があり、家族がいたりするので、
もちろん給料を持ち帰るというミッションが大きな目的ではありますが、

それでも、それだけの為に会社に毎日来ているわけではなく、
組織に属して一日の大半を過ごす以上は、そこに少なからぬ思い入れが生じ、
その組織をうまくいかせたい、という感情が自然と湧いてくるものです
(湧いてこないような病んだ職場に既になってしまっていない限りは)。

企業の場合は、売り上げや利益があがることが「うまくいくこと」ですから、
例えば四半期決算が前同比プラス、になれば、
そこに働いている従業員も、まずは感情としてうれしくなります。
(その後で、給料や昇進やボーナスに関心が移るのも自然の流れですが、
 それは時間的には一定のインターバルをおいて次のタイミングで生じる感情です)

しかしそこで、そのうれしい感情が生じることの機先を制する形で
「予断を許さない」と言ってしまうことが、日常行われるのです。

この傾向は、管理する側においては、やってしまいがちなことと思います。
しかし、困ったことに、管理される側においても
それに憤慨することなく、おとなし受け入れてしまう傾向があります。
日本には、「勝って兜の緒を締める」、という言葉がありますが、
この長年培われた美学が、「なんで勝ったのに浮かれたらダメなの?」
とは言いにくい風土を作っている、ともいえるでしょう。

日本人全員がかつての武士みたいに育ってきて、
剣道の試合後のように、勝っても負けても、静かに礼をして後にする
みたいにいけばいいですが、
(そういう文化は私も好きで、大事にしたいとは思いますが)、
やはり、バレーボールの選手のように、ギャーギャーいいながら抱き合って
喜びを共有する方が、やってる方も見ている方も気持ちいいし、
次への活力にもなる気がするのです。

剣道の人が次を頑張れない、と言っているわけでは決してありません。
それどころか、あの人達が心のうちに秘めたエネルギーはすごいと思います。
ただ、武士の社会ではない現代日本の社会において、
武士の生き方でやっていける人は少数派であって、
たいていの一般大衆は、喜怒哀楽を表にだしながら、
感情をコントロールしたり、感情を力に変えたりするものだ、と思うのです。

「危機感を煽る」に話を戻しますと、
そういった自然な感情の発生とその向かう先を尊重することなく、
危機感でもって封じこめるやり方が、
人を動かしたり、全体を上に持ち上げたり、個々人に幸せを与えたりする上で
うまいやり方であるとは、どうにも私にはとは思えない、ということなのです。

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