性格リフォームカウンセラー心屋仁之助の「それもすべて、神さまのはからい。」
著者 : 心屋仁之助
王様文庫
タイトルはなんか、宗教チックで怪しげ(?)に思えるかもしれません。
表紙のサブタイトルにも「知らなかった世界」が目の前にバーンと開けていく、とか書いてあります。
勇気を出して、はじめに、の章を読むと、もひとつ怪しさか倍増(?)してきます。
ごあいさつが遅れました。こんにちは、みどるさなぎです!
神さまが人生の要所にポンと置いた石を、僕らが「イヤだなあ」と思っても、上からみている神さまは「まあ、待て。悪いようにはせんから。(数年後)ほらな、うまくつながったじゃろ?」
(本文より)
かなり、あやしい、インチキ臭さ(?)を感じるような出だしですね。
しかし、後ろに読み進めてゆくと、そのような怪しい本ではなく、人生をうまく生きていくためのコツとかテクニックを面白おかしく書いてくれている本だとわかります。
第1章 あなたも私も「凸」と「凹」でうまくいく。
この、第1章の中身こそが、心屋さんの数々の著書がある中で、この本で独自に展開されている内容ではないかと思います。
作者自身の発見で、世の中には「二つの人種」がいる、というところから始まります。
いろいろな表現方法で代わる代わる説明しているのですが、
この表現方法ひとつで、ハナから誤解を受けて差別的な本だとみなされてしまう恐れがあるのがつらいところですが
例えば、一方の「人種」を、「空気が読めて、理解力もあり、理論的。表現力があって多くのことを同時にこなせ、処理能力も高い」タイプ、と表現し、
もう片方の「人種」を、「天然で癒し系、表現がストレートで、なんでも素直に受け取る(真に受ける)」タイプ、などと表現しています。
または、前者を「有能なマネージャー」、後者を「タレント、スター」と表現したりしています。
そして、前者にとっては何ら難しくなく最も得意なことが、後者にはどうしてもできない。
後者がなんとも思っていないことを前者はどうにも許せない、など、この二者にはどうやっても埋められない隔たり、というか、違いがあります。
実はボクも、心屋さんと全く同じく、妻との関係においてしょっちゅう感じています。
「なんでこれができひんねん!これをしいひんねん!なんでそれでええと思ってんねん!」とイライラすることが多々あったり・・・。
逆に、妻のほうでも、「なんでこの人は毎日毎日カリカリして私にあたりちらしてんの!」と思ってたり・・・。
今回この本を読んで、前者、後者の考え方に触れて、「ああそうか!そういうことなのね!どうにもならない、ということね!」と腑に落ちてしまいました。
後者が実に巧みに前者の地雷を踏む、ということも、もはやそう決まっていることなのだ、と。
そして、どちらが正しいとか偉いとか、というのではなく、それぞれが違うのだから違うものとして役割を担っていけばよい、ということ。
いくら努力してもできないことをしようとして自分を責めたり、させようとして相手を責めたり、そんなことはしなくていいし、してはいけないよ、と説いています。
今の自分で、この自分でいいんだ。他の誰かになろうとがんばらなくていいんだ。できないことは人に頼ればいいんだ、と。
そしてここからはいつもの心屋節ですが、「何の役に立っていなくても、自分はすばらしい」。
後者の人もがんばらなくていい、前者の人ももっと肩の力を抜いて!と締めています。
第2章 「大人になる」って、こういうこと ・・・もっとゲスく、エグく生きてみる
第3章 何でそんなに「重荷」を背負うの? ・・・そのムダな苦労を「終わらせる」
第4章 「言葉に出せる」人は、強い ・・・隠さない、ごまかさない、塗り固めない
第5章 「私は自信がある」と決めてしまう ・・・それだけで、なんか知らんけど「流れ」がよくなる
これらの章は、心屋仁之助さんの本を数々読んできた人には馴染み深い内容が、様々に表現を変えて登場しています。
その中でも、特徴的なフレーズを挙げると、
- 大事なのは「わがまま」を出して自分らしく生きるということ。ただしわがままを通すためには「覚悟」が必要。
- 「あの人はああいう人だからしかたないよね」とまわりに思われるようになると、自分らしく生きられるようになる。しかし、その前の関門として、自分がたたかれても嫌われても誰かが離れていっても、「自分がやりたいことをするのを自分に許す」ということが大事。
- 人生の苦労を人に(特に子供に)伝えるのは、大人の仕事ではない。「人生というのは、とても楽しくて、素晴らしい。あなたも私も必ず幸せになる」と伝えてゆくのが「大人の仕事」。
この、3番目のやつ。これが、僕はどうにもできていない。
自分の子供にもついつい、厳しい世の中でしっかり生きていくための辛抱や努力みたいなもんを教えようとしてきましたしね。
自分自身においても、様々な嫌なことは我慢することを当然と考え、そうしてうまくいかないときに落ち込んだりもします。
「人生が楽しい」、などと他人様にはとても言えないような生き方や考え方をしてきたものです。
また、さらに面白いフレーズを挙げると、
- 悪いことだ、好ましくないことだ、と人々が避けてきたようなことを、平気でチャレンジできるタイプがいる。それを「ゲスい人だ」と呼ぶ人もいる。そういう(ゲスい)人たちは罪悪感がない。罪悪感で汚れていないキレイな人。そういう人のところに、「愛情」も「豊かさ」もどっさりやってくる。
- マナーを守って心にウソをついているひとと、マナー違反のゲスい人、どちらの方が腹が黒いのか、という話。罪悪感を隠し持っている人が腹が黒いのでは?
これなんかは、いわゆる常識的な教えとは真逆を行く、物事の捉え方ですね。
- イヤなことに向き合い、平気なふりをしていても心はモヤモヤ、ザワザワ、イライラ。こころはドロドロ。そうするとどんどん老けていった。苦労を売り物にしたり買ったりするのをやめにしたら、心身ともにどんどん若返った。
はい、僕、最近自分の老け方のスピードに唖然としています。
- 「がんばって働くことに逃げる」のではなく、「してはいけない」と思っていたことに対し、「私はあれをしてもいい」と許可を与えてゆくこと。
- 自分を檻から出してあげる、「来るなら来い」ひとから嫌われることも恐れず。関西のおばちゃんになる。それが「自分を大切にする」ということ。
関西のおばちゃんにも悩みはあるし、苦しんでもいるのですよ、と言いたくもなりますが・・・。
ま、自身が関西人である著者が言っているのだから、承知の上でネタで言ってるのでしょう・・・
- 地獄とは死んでからいくところではない。失うのを恐れてずっと不安を感じている人は、この世界で地獄をあじわっている。天国は「ある」の世界。
これなんかは、仏教関係の本にはよく出てくる考え方ですね。特に釈迦の教えをダイレクトに伝えようとする、宗派に属さない啓蒙書なんかに、よく登場します。
- 独身でも結婚していても「孤独死」はする。そうならないように、と恐れてがんばってもムダ。開き直って「天国のこと」に徹する。
- がんばろうが、がんばるまいが、結果を残そうが残すまいが、あなたは孤独死もするし、嫌われもするし、笑われもするし、怒られもする。
- あきらめた瞬間、新しい世界にぴょんと飛び込める。そこが天国。天国に来た瞬間、人生はコントになり「なんか知らんけど笑える」ようになる
- 「笑う」とは「許し」であり「ゆるむ」ということ。
やはり、笑い、というのは重要だし、そこに至れれば成功、ということなのでしょう。僕なんかにはなかなかそれが難しく、あまり笑っていないなあ、と。
第1章で言うところの「後者」の人種のうちの、いい感じにイケている人を見習う、ということが上手くできれば、難なく「笑う」を体得できるのでしょうが、自分を振り返ると、どちらかというと「後者」の「笑う」が鼻について、非難してきたような感じがしてしまいますね・・・。
心屋さん一流の「自分をそのまま」を基調にした、第2章から第5章までを読んだ上で、もう一度、本書の独自展開である第1章を読み直すと、なんか新しい発見とか、チャレンジのネタがでてきたような。
そんな風に感じて、「読んでよかった」と思えた一冊でした。
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