テレビでやってた特種清掃員という仕事

かんがえる
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(今日は、すっかり陰気臭い話題で、ごめんなさい。明るくすませたい方は、今日の記事は読まないようにしてね)

最近、夜寝る前に自室のテレビでNHKの番組を見るのが流行っています。
語学番組(といっても、勉強というのではない。風景番組をみるような感覚で見ている)とか、ちょっと教養系の番組(といっても、やはり勉強というのではない。イライライせずに見れるから、というぐらいの動機)だけを見るようになってきた僕にとって、この時間はまさにゴールデンアワー。

先日、いつもどおり、寝る前のほんわかしたひとときを、NHKの番組で満たそう、とテレビをつけました。
たまたまやってたのは、ある人の日常と、仕事を通して日々感じていることを深く紹介する番組。その女性の職業は特殊清掃員。

特種清掃員という仕事そのものは、だいたいどんなものかは前から知っていました。
勝手なイメージとしては、自室で自殺(最近では自死、という言い方の方がいいのかな?)された方や、病気で孤独死された方の部屋を、次の居住者が住める状態にすべく、遺品を処理し、清掃をする仕事。
そして、さらに勝手なイメージとしては、心を病んでしまっていたり、長期の慢性的な病気であったり、老人の一人暮らしであったり。

その清掃員の女性は、部屋の様子を見ながら、生前その人がどんな暮らしをしていたか、死に近づく前の生活はどんなだったかを想像し、語ってくれていました。
また、机の上に広げられた、写真などの思い出の品や、個人が大事にしていたであろうものを、丁寧にゴミと選別して、箱に詰めたりしていました。

番組では、それを遺族に引き渡したときの、遺族の様子や思いを映していました。人それぞれいろんな生き方をしてきているので、当然、遺族となった後も、複雑な感情をもったままの状態の人もいました。

見ながらふと気づいたのは、死後に特殊清掃員の方のお世話になる人を、勝手に自分とは切り離して、病んだ人(自分とは異なる)、孤独な老人(自分とは異なる)と、まるで人ごとのように考えていた、ということです。

ある初老の故人のケースでは、もともとは家族で住んでいた家から、子供が独立して家をでていき、その後、妻とも、それぞれの生き方をしよう、ということを決めて、妻も家をでていき、故人はその後ひとりで家に残ってくらしていた、ということです。
家には、家族で暮らしていたころそのままのいろんなものが、日常と同じようにおかれており、また壁には家族の写真がいっぱいに貼られていました。
これを見たとき、この人の、もともとあった日常は、今の僕と同じじゃないか?と思いました。
そして、(その人は遺族の様子からすると一人で暮らすようになる前にはいろいろあったようにも見えましたが)自分も、確実に数年たてば子供たちは独立して家を出ていくし、ある確率で妻が一人で今の家に残り、残りの確率で私が一人で今の家に残る。
たまたまタイミング良く(悪く、かもしれないが)自ら病院にいってそのまま帰らない、とか、外で倒れて他人様に見つけられる、ということにならない限りは、今テレビでやってる故人と同じ状態で最期を迎えるんじゃないか。
であれば、今この番組で対象とされている故人は、ぜんぜん自分と別の人ではなくて、僕も十分な確率で同じように特殊清掃員さんのお世話になるじゃないか、と思ったのです。

死は自分と縁遠いところにあるものであるかのように思いがちだが、それは幻想にすぎない、ということは常々思いなおすようにしていて(宗教的な意味でも)、意識は高いつもりでいましたが、やっぱりそうはなれていない自分を見つけてしまいました。
・・・と反省しつつ、やはり寝る直前に見るにはあまりにも重たいものだったので、(他人事、という見方から自分事、という見方に変わってからさらに重たくなった)、番組を最後までみることはできず、テレビを切って、少しだけ気分直しをしてから就寝したのでした。

陰気臭い記事でごめんなさい。次回は楽しいネタを頑張りまーす!

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