「バカになれ 50歳から人生に勢いを取り戻す」
著者 : 齋藤 孝
朝日新書
僕が最近せっせと読んでいる、これから老年に向かっていくにあたって、これからの人生をどのように生きるべきか、についての本のうちの一つです。
「人生で楽しいことの9割は終わり、嫌なことの9割はこれからか。」とも感じられる50代。
その世代に、「人生後半戦、このままでは終われない」というメッセージを送る序章から始まっています。
家族や職場の責任を背負ってきたこれまでの人生の中で、「いまやっていることが何か役に立つのか、どんな意味があるのか、どんな価値があるのか」という尺度が刷り込まれてくる・・・
そのうちに、心の底から楽しいという事柄が一つ一つきえていく・・・
そういうかなり苦しい状態にあって、人生後半の扉と開く呪文として「バカになれ!」と言っています。
ここで使われている「バカ」は、いわゆる、「〇〇バカ」の「バカです」。
バカになれるもの、バカになれる時間を持つことこそが、後半生のアイデンティティの最大の拠りどころとなり、人生を明るく照らす、と説いています。
1章 人生を苦しくする「三本の鎖」
この章では、人生を苦しくするものとして「三本の鎖」を挙げています。
◆他人の視線という地獄
これは言うまでもない地獄です。
しかし、僕たちは職場で認められたり、世間でうまく立ち回ったり、ということをするうえで、この地獄とのお付き合いを、あまりにも長く日常的におこなっています。
◆コンプライアンス意識
品行方正が第一で、物議をかもすことを一切許さないような社会全体の雰囲気。
これには僕も本当に窮屈な時代になったものだなあ、とうんざりしています。
◆個性的でなければいけない、という思い込み
ひたすら何かを追求した結果、個性にたどりつく、というのが本来の姿で、他人と違うことをしよう、他人と違う自分であろう、としすぎることは、人を苦しめるばかりで弊害のほうが多い、と説いています。
こういったことから何とか脱却して、世間の評価を気にせず「〇〇バカ」になる、ということを、筆者は、五十歳以降にこそ許される大きな特権、と言っています。
2章 若いころの情熱を呼び覚ませ
もはや情熱を持てなくなってしまったのではないか、と不安を感じている・・・。
そんな僕に対して、冒頭から、「情熱を失ったのではなく、感度が鈍っているだけ」と始めてくれています。
そしてその感度を高めるための方法についていくつかを紹介しており、この章がこの著書の一番の肝になっている部分ではないかと思います。
「ときめき」を第一の評価基準にする
まず、「ときめき」を第一の評価基準にすること。
そのためにアンテナの感度を上げる必要があり、それには予備知識や周辺情報を仕入れる、つまり教養を高める行動をすることが効果的である、と言っています。
物事は自分の持っている教養の分しか楽しめない、ということを知ること。
もし何事にも感動できなくなったと嘆くようなことがあれば、それは加齢や老化のせいではなく「最近インプットが足りなかった」から、と考える。
そして、ちょっとした自分なりの勉強や情報収集をすることを勧めています。
「目的のない」学問をすること
特定の対象を見つけてそれの勉強をする、ということだけにこだわらず、「目的のない」学問をすること も勧めています。
長年仕事をしているうちに、あらゆることに対して「これは(仕事に)役に立つか、そうでないか」で判断することが常習化してしまいます。
そして、その習慣が人生をしだいに味気なく、喜びのないものにしてしまっている、というわけです。
五十歳にもなればその習慣を捨て、自分が興味を持った牙城を果敢に攻めるドン・キホーテになることが人生を楽しむコツだ、と述べています。
仕事上で染みついた「コスパ」の意識を取り外すことが有効である、と言っていますね。
損得や、役に立つ、立たないで考えるのではなく興味をもったものに、とにかく打ち込んでみること。
一日のうちで細胞の一つ一つが活性化したような瞬間がいつ訪れたかを忘れずにメモしておく。
そして、興味を持ったことに対してはどんどん深くのめりこんでいく、ということがいい、と言っています。
3章 身体から心を整える
前章のヒントを実践しても、どうしても情熱を注ぎこむ対象がみつからない人は、とにかく行動から入る(体を動かしてみる)、ということを勧めています。
ライブ感を味わえるところに行ってみる、とか、大きな声をだしてみる、とか、マッサージで気持ちよくなる、とかでもいい。
また、リラックスしていつでも笑えるように準備をしておく、火を見る、自由に踊る、など、とにかくなんでもいいから身体を起点に心を解き放つ、という行動論を説いています。
4章 自分を「ゾーン」にいれる
5章 先人の熱源に触れる
なにかの世界で「一流」であるひとは、その対象に対して「〇〇バカ」と呼べるほどにのめり込んでいる、ということを書いています。
そしてそこから至高体験を得られればしめたもの。
まあ、ここの章で書いてることは、理想的ではあるけれど、それができないから今にいたる、というところなんですけどね・・・・。
「先人」として、アップル創業者のスティーブ・ジョブズやホンダの本田宗一郎、また、吉田松陰、松尾芭蕉、といった偉人を挙げられてます。そういわれてもね・・・。
TBSの「マツコの知らない世界」からもエネルギーが得られる、という点については、共感です。
あの番組にでてくる、「変人」ともいえるこだわり人たちの情熱はすごいですからね。
6章 50歳から人生に勢いをつける
糸井重里の例が挙げられています。
いったん仕事から距離をおいて、何か別のものに夢中(単なる道楽的な「〇〇バカ」)になるようにしたことで、自分と仕事を冷静にみつめなおすことができ、活力を取り戻せた、と紹介しています。
大学の教員の「サバティカル」という休暇制度の考え方と通じるものだそうです。
ルーティーンの仕事だけではワクワク感が減り、モチベーションが下がるので、そういった機会(サバティカル)で活力を取り戻す、と。
僕たちの世界にはサバティカルはなく、ずうっと全力でやり続けることを求められます。
そんな生活を長年続けた後に定年退職などで急に完全に解き放たれてしまったとき、途方に暮れ、自分を見失う、といった話はよく聞きます。
そうではなくて、その解き放たれた瞬間こそ、一種のサバティカル、として捉え、あらたな人生を踏み出すための起爆剤とできればベストだと思います。
おわりに
全章に一貫していますが、特に2章と6章では、自分がときめくものに情熱をつぎ込むことを繰り返し勧めています。
そして、その一つに、「収集」という行為があります。
お気に入りを集めて棚いっぱいに並べることに、「森」をそだてる感覚、という表現を使っています。
集めるという行為そのものを含めて、手間暇のかかったものほど愛おしい。
できるだけそういういったものを身近におき、その価値を愛でることで元気をもらう。
さらに機会があればそれを人に自慢する、ということも勧めています。
役に立つかどうか、とか、お金の節約とか、そういうことを重視しすぎて過ごしてきたうちに、子供のころにはワクワクしながらやっていた「収集」という楽しみさえも失ってしまった気がします。
本書で、森を育てるように棚いっぱいに集めて愛でる、という表現を目にし、それを想像しただけで、少し気持ちが浮き立った気がしました。
なにか、僕の部屋の棚にもそういった世界をつくってみようかな、と前向きな(?)気持ちになりました。
「勢いを取り戻す」といえるほどのものには、まだほど遠いかもしれないけれど。
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