国鉄時代の風情のある超ローカル線。
乗客の減少で廃止が相次ぎ、めっきり少なくなってしまいました。
そんな中でも頑張って存続している、超ローカル線が三重県にはあります。
松阪から紀伊山地のど真ん中へ向かって走るローカル線「JR名松線」をご紹介します。
ごあいさつが遅れました。こんにちは、みどるさなぎです!
実はこの路線、最も山深い区間において、台風で線路が崩壊してしまい、途中駅から先が長い間にわたって運行が停止されていた歴史があります。
もともとが採算の厳しい地方ローカル線ですから、当然、廃止が検討されました。
しかし、地元住民による根強い運動と、周辺地域で巻き起こった復旧の機運が身を結び、約6年半ぶりに復活を果たした、奇跡の路線です。
11万6000人もの署名を集めたらしいですよ。
JR名松線の立地
三重県の中部、松阪市が始発点です。
亀山方面(名古屋方面)へ向かう路線と分かれて、紀伊山地の方に向かいます。
平成の市町村大合併で、松阪市も津市も山の方の町村を吸収して巨大化したので、路線は松阪と津の2市をまたぐだけですが、実際には終着駅は旧一志郡三杉村という、山奥にあります。
紀伊半島全体の地図でこの場所って・・・。すごいところに線路を進めたもんだと思います。
しかも、この伊勢奥津の位置。これを海に面した「津市」に含めるって、すごいですね。
ま、奥津というぐらいだから、津の奥、ということでもいいんじゃない?
町から山奥へ 全15駅をつなぐローカル線
松阪から終点の伊勢奥津まで、路線全長43.5km、約80分の列車の旅です
ちなみに、JR東海の路線図には、こんな感じに載っています。
(一番左側に飛び出て描かれている路線です)
もちろん電化なんてされていませんから、電車ではなく汽車です。
低く渋いエンジン音を「ガーーッ」と鳴り響かせながら進んでいきます。
キハ11という型式の列車です。
尚、この路線は松阪駅を出発する時点からワンマン列車です。
最前部の様子はこんな感じです。(ピントがぼやけててすみません)
ほとんどの駅が無人駅なので、運賃は運転席横の運賃箱にいれて降りる仕組みです。
田舎暮らしの人には珍しくもなんともないですが、都会の人はかなり驚くみたいです。
路線バスをイメージしてもらうと、普通なんですけどね。
松阪駅をキハ11で出発
いよいよ始発駅の松阪を出発します。
僕が乗ったのは、伊勢奥津までの直行ではなく、途中の家城(いえき)というところで一回乗り換える便でした。
なので、松阪を出るときは家城行きの列車でした。
ちなみにこの写真の背景もたいがい、超田舎に見えますが、一応、16万人が住む松阪市の中心をなす駅です。
ちなみに駅全体の外観はこんな感じです。
この先は、路線の鉄道施設で鉄筋コンクリートの建物は出てきませんから、確かに路線第一の拠点と言えます。
ローカル線の景色を満喫するならここでも十分なんじゃないの?と思うかもしれませんが、この先は本当にすごい所に入っていくのでまあ、お待ちを。
松阪駅を出てしばらく走ると、人家が途絶えて、広大な田園地帯に入ります。
単線の線路を何にも邪魔されずに、まっすぐと列車は走ります。
途中いくつかの駅に止まりますが、乗り降りする人はほとんどいません。
松阪からの前半40分ほどの間は、後半の40分とは異なり、急なカーブなどなく、むしろ何もないところをひたすらまっすぐ走るイメージです。
しかし、家城から先は、列車が曲がり切らないんじゃないか?と思うほどに、急なカーブがたくさんあります。
その、険しい路線をがんばってくれる、一両編成の列車への乗り換えです。
家城駅で一両編成に乗り換え
「家城」と書いて「いえき」と読みます。
家城駅では、松阪から乗ってきた列車を降りて、いよいよ伊勢奥津に向かう列車に乗り換えます。
ここまで載せてきてくれた二両編成の列車が、松阪駅に向かって引き返してゆくのを見送ります。
そして、伊勢奥津行きの列車にのって、いよいよクライマックスに突入です。
単線で使われる謎の道具「タブレット」
さて、家城駅では、これから運転を始めようとする運転士が乗り込むところを、鉄道オタクっぽいカメラおじさんが、一生懸命写真を撮っていました。
僕は、何がそんなに珍しいのかわからず、写真撮影には参加しなかったのですが、後から調べてわかりました。
カメラおじさんが撮っていたのは、「タブレット」と呼ぶものを持って運転席に乗り込むところ、だったのです。
上の写真は、運転席を後ろからガラス越しに撮影したものです。
運転士の右側にかかっている、赤と白の縞々の輪っかの先端に小物入れのようなものがついている、これが「タブレット」です。
まだ通信手段や信号システムが貧弱だった時代、単線の両側から列車が来て正面衝突をするのを防止するために考案された道具だそうです。
小物入れの中には、独自の形状の穴があけられた金属の円盤が入っているそうです。
この円盤が「通票」と呼ばれるもので、いわばその単線区間の通行許可証のようなものです。
単線区間の両側に通票を管理する道具があり、片方の駅を出た列車がもう片方の駅に到着してその通票を返さないと、逆方向に向かう列車に通票が発行されない仕組みです。
こうやって、その単線区間に複数の列車が同時に走る、ということが発生しないように、管理していたそうです。
バトンみたいに1本を手渡しにしたら、金属板も管理装置も要らねえんじゃね?と思うけど、その形の通票である意味がなにかあったのでしょう・・・・。
今では(当然ながら)見られるところはかなり限られているみたいですが、地方の単線ローカル線にかろうじて残っていて、いまも現役の安全管理システムとして機能しているようです。
名松線のクライマックス 家城~伊勢奥津
家城を発車すると、これまでとはガラッと変わって、激しいカーブが出現します。
とても山深い景色のなかを、縫うように列車が走ります。
あまりに急なので、列車はスピードが出せません。
一番激しいところでは、時速20km以下ぐらいまでスピードを落としているように見えました(もしかしたらもっと遅い?)
しかも、森が線路のギリギリまで覆いかぶさっていて、見通しが極めて悪かったりもします。
かと思えば、鉄橋があったり、
鉄橋のすぐ先にはトンネルがあったり、
右に
左に
川も見えたりして、景色を見ていると飽きる暇がありません。
ちなみに、この記事は列車への乗車体験を書いたものなので、列車の中からの景色ばかりですが、外からみるとこんな感じだそうです。
山深く走り続けて、「いったいどこまで続くのかな?」と思ったころに、突然終点に至り、80分ほどのローカル列車の旅は終了します。
終着駅 伊勢奥津駅
列車は終点の伊勢奥津駅に到着しました。
線路の奥には、蒸気機関車時代の給水塔が今も残っています。
つる性の草に覆われていて、時間の流れに思いをはせるところです。
「天空の〇、〇〇ュタ」のワンシーンみたいな景色ですね。
駅舎は観光客を迎えるのを意識してか、なかなかに新しい、木目のきれいな建物です。
そこには、「三杉に来てくれて、おおきに ありがとう」という貼り紙があり、路線復興への人々の思いが伝わってきます。
「名松線を守る会」の会員募集、ともありますね。
さて、駅の外側に回ると、建物が横に続いていて、観光案内所やお土産物屋さん、ちょっとした食堂があるのがわかります。
お土産物をみてから、町をぐるっと散策したいと思います。
その前に、帰りの列車の時刻を確認しておかなければなりません。
置いて行かれると大変なことになりそうですから・・・・。
2時間に1本しか、帰りの手段がありませんから、気をつけましょう。
尚、時刻表の隣に運賃表がありますが、この写真をとったのが少し古いので、今とは運賃が変わっています。
例えば、全線めいっぱい乗った時の、松阪-伊勢奥津間運賃は、写真では片道840円となっていますが、2019年と2022年の運賃改定で、今(2022年)では860円になっています。
伊勢奥津駅周辺の町散歩
観光客を呼び込んで、なんとか路線を維持したい、という思いが強いだけあって、観光案内板や、電動アシスト付きのレンタサイクルなどもあります。
二階の人形がビミョーですが・・・・。
この町は、昔は伊勢本海道の宿場町だったらしく、栄えた時期もあったのかもしれません。
昔はあちこちに残っていたけど、最近ではめったに見なくなった、半鐘もこの町にはまだ残されています。
なんか、ぜんぜん古びてなくて、いまでも使っているんじゃないか?とすら感じさせるような・・・。
歴史を感じさせる古い建物には、通行する観光客のために、古い道具や映画のポスターが展示されています。
当時映画ってどこまで見に行ったんだろ?と思いながら歩いていると、映画館跡地の表示がありました。
やっぱり、昔は今よりもずいぶん栄えていたんですね
線路の向こう側にも町が見えます。
真ん中の煙突は、お風呂屋さんでしょうか?
線路をわたる踏切は、遮断機のない踏切ですね。
2時間に一度、気を付けなければなりません。
帰途に。帰りも列車を満喫。
さて、行きの列車と町の散策を堪能し終えて、そろそろ帰途につかなければなりません。
帰りも存分に列車を楽しんで帰ることにしましょう。
駅には、松阪方面に向かって出発を待っている、家城行の列車が待っています。
まとめ 奇跡のローカル線 JR名松線
僕がこの体験をしたのが、完全な平日だったため、途中までは学生が乗っていたものの、彼らが降りてからは列車内はガラガラでした。
乗っていたのは、僕と同じ鉄道好きっぽいおじさんだけ。
でも、その鉄道好きにはたまらない、昔の国鉄の風情を残す素敵な路線でした。
行き先に何がある、というところではありませんが、ただこの列車に乗っているだけで、遠いところに旅行にきたような楽しい感覚が味わえます。
家城から先は、本当に山深いところで、通常、鉄道では見られないような急カーブなど、見どころ満載です。
さすがに2009年の台風での被害は尋常ではなかったのだろうなと思います。
沿線住民や、津市松阪市の熱意で、6年半の後に奇跡の復活を果たしたことは、驚異的です。
なんとか、これから先も残していきたいし、全国の鉄道ファンに味わってほしい、と思います。
ぜひ、風情たっぷりのJR名松線を体験してみてくださいね。
では、またっ!
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