【いい人、と呼ばれる人について】
ちょっとひねくれているのかもしれませんが、
昔から、いい人、と呼ばれる人を私は信用していません。
もう少し丁寧にいうと、
”多くの人から、いい人、と思われている人”のことかもしれません。
自分がよいと信じることをするには強さが要ります。
また何かを作り上げたり、為したりするにも強さが要ります。
自分の大事な人を守るにもやはり強さが要ります。
そういった強さをもっている人は、頼れる人です。
人が人を頼るのは、自分だけではやっつけられない敵を、
その人の力を借りてなんとかしようとする場合です。
(敵とは、人の場合とは限りません。
仕事かもしれないし、何かの物体かも、仕組みかもしれない。
敵と呼ぶほど憎いものではなく、”相手”と呼ぶべきものかも。
時には自分自身の場合もあります)
自分が頼って、やっつける手助けをしてもらおう、というのですから、
その人は戦いの能力や、才知に長けていないといけません。
外に対して”やっつける”力を保持している、ということです。
一方、いい人、というのは、その人と一緒にいると心地よい、
安心できる(気がする)、危害が加わらない、ということです。
外部に向かって攻撃できる能力をもっているか、
外部に向かって攻撃しないことが見た目あきらかか、
という点で、頼れる人、と、いい人、とは正反対です。
もちろん、頼れるいい人 はいます。
でも、それは攻撃できる能力をもっているけれども、
攻撃しないことがわかっている、そういう相手、ということです。
さきほど”多くの人から、いい人、と思われている人”と書きましたが、
”多くの人”は一人一人の中身まではそう理解していません。
つまり、表面的に見える部分での判断しかできていないのが大半です。
その表面的に見える部分が、”攻撃しないことが見た目あきらか”
であるということは、攻撃できる装備を備えていない、ということです。
通常、ギラギラした武器を全身にまとっていると、
まずそれが目に付くので、「あ、この人は怖い人だな」と思われるはずです。
(すくなくとも、「あ、この人はいい人だな」とはならないはずです)。
また、武器はちゃんと装備しているけど、外からは見えない、
そういう場合はどうでしょう?
人のよさそうないでたちで、フワフワのハンテンとかを来ているけど
それを一枚めくるとギッシリと全身武器を装着している、
それこそ、いい人からは最も遠い人です。
なので、多くの人からいい人と思われている人は、
いい人かもしれないけど頼りにならない人、か、
もしくは、いい人のフリをした悪い人だと思うのです。
そして、そのいい人が、何かのはずみに、人の強い悪意にされされたり
ひどい逆境に置かれるとどうなってしまうか。
この歳になると、そういう人を何人か見て来ましたが、
一瞬で打ちのめされてどうにかなってしまうか、
(そうなると”いい人”どころか、誰がどう見ても”弱い人”)
または、他人に押し付けて自分は逃げようとするか、
だいたいそのどちらかになるようです。
後者の場合は、だいたいのケースにおいて
「え?あの人そんな人だったの?」と嫌われてしまうのですが、
本人もそれがわかっているから、なんとか自分を正当化するために
今度は他人を攻撃し始める人がでてきます。
(あれ、そうなると、悪い人、ということになりますね?)
そうです。いい人がいい人でいられるのは、いい環境だっただけで、
事態が悪化すると、いい人が突然、悪い人に豹変する。
そういうケースを何人も見て来ました。
ですので、私は、いい人と呼ばれる人を信用しない。
むしろ、皆から怖がられているような人が、
深く付き合ってみると実はただ人を攻撃するような人ではない、
そういう、頼りになるいい人 だった、と気づいた時に
その人に出あえてよかったな、と思うのです。
(注)
”頼りになるいい人”は、
すべての人に対して頼りになる人
ではないし、
すべての人に対していい人ではない
むしろ、別の人に対しては
”頼りにもならないし悪い人”
の場合が多い。
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