【親しい間柄ほど難しい】弔問のときの遺族への自然なお悔やみの言葉

日常のこと
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知人や親戚に不幸があり、お通夜やお葬式に駆け付けなければならないことは、人生に何度もあります。

一般の弔問のときは、普通に受付でお香典を手渡せば済むのですが、親しい間柄だと遺族に直接声をかけなければならない場に遭遇します。

そんなとき、なかなかうまく言葉が出てこなくて困るものです。

この記事は、親しい間柄の人のところに不幸があったときの、直接の声掛け についてです。

みどる
みどる

ごあいさつが遅れました。こんにちは、みどるさなぎです!

関係の本には、「この度はご愁傷さまです」とか「心からお悔やみ申し上げます」とかを言いましょう、と書かれています。

でも、弔問にかけつけて、出てきた親しい知人・親戚に、いざこれらの言葉を言おうとしても、なんだか違和感があって言えない、ということはありませんか?

なんかしっくりこない、定番の「お悔やみ」の言葉

マナーやしきたりの本、葬儀会社のHPなどでは、弔問のときの言葉として、だいたい次のような言い回しが推奨されています。

  • このたびはご愁傷さまです。
  • こころからお悔やみ申し上げます。
  • 〇〇様のご冥福を心からお祈りいたします。

ビジネスの関係など、形式的に言葉を伝える場合には、これでもいいのかもしれません。

しかし、普段から欠かさず顔をあわせている親しい間柄や、お互いに気ごころが知れた関係の人に対しては、「何か違う」感じがします。

ましてや、駆け付けて、第一声がこれでは、あまりに「唐突感」というか「とってつけた感」が否めません。

なんか抵抗がある「ご愁傷さまです」

本来は、この時のためにあるべき単語「愁傷」なのですが、むしろこの言葉は使ってはいけないのではないか?という気になります。

それはおそらく、軽いからかいや、場合によっては悪意に満ちた皮肉で、この単語が使われるケースが多いからではないでしょうか。

「へえ~~っ、それはそれは、ご愁傷サマ~~。・・・ケケケケッ」 ってやつですね。

この言葉を使うことで、遺族を気遣う心が全く伝わらないような気がしてしまうのです。

親しいほど使いにくい「お悔やみ申し上げます」

だいたい、親しい間柄の人に「申し上げます」は使いにくいですね。

でも、「お悔やみ言います」とか「お悔やみします」はおかしい・・・・。

また、「お悔やみ」という言葉自体が、普段人に対して面と向かって使う言葉ではないので、自然に口にするのがなにかうまくできない感じもあります。

全くつかえない「哀悼の意を表します」

これは、弔電とかの書かれた文章ではしっくりきますが、会話の中では使えないものです。

口頭で使うとしたら、弔辞を読むときの文章の中 ぐらいですかね。

唐突感のある「ご冥福をお祈りします」

遺族に会うや否や、いきなり「ご冥福をお祈りします」はないですよね。

使うとしても、なにか、最初のご挨拶があって、最後のシメのセリフですよね。

遺族に対面した瞬間の出だしの言葉

普通だったら、「こんにちは」「こんばんは」で済むものが、弔問の場合の出だしはこれらが使えないのが難しいところです。

また、ついつい「お疲れ様です」とか言ってしまいそうなところですが、これだと、哀しみへのねぎらいというより、労働へのねぎらいになってしまいます。

そうすると、第一声、というのはなかなか難しいものです。

最も使いやすい「遅くなってごめんなさい」

遅くても早くても、これは使えます。

もう少し丁寧に言うなら、「駆けつけるのが遅れてしまって、申し訳ありません」

たとえ、到着が第一位だったとしても、「本当はもっと早く駆け付けたかったんだけど」みたいな顔をして言えば自然です。

この挨拶は、遺族との間柄が近ければ近いほど自然なので、便利です。

申し訳なさそうに「いま、大丈夫なの?」

あまりに早く到着してしまって、「ちょっと早すぎたかな?」というときにこそ使える、便利な表現です。

まだ、遺族側が弔問者を迎え入れる準備が整った雰囲気ではないときに使うと自然です。

「タイミング悪く到着してしまった、迷惑になってしまう」と慌てているかのようにふるまいながら、キョロキョロしながらいうのがミソです。

この表現は、挨拶、というよりは、挨拶をすっ飛ばして本題に入るような、使い方のイメージです。

あるいは、冒頭のあいさつは抜きに、体で表現

肩をだきよせる、とか、黙って肩をポンポンポンっと叩くとか、ボディタッチで言葉の代わりをする、というものです。

または、目をしっかりと見つめて無言で何度もうなづく、とか、ペコペコと無言で何度も会釈する、というので、出だしの挨拶の代用をしてしまう、というものです。

「何も言わなくても、あなたの気持ちを共有しているよ」的なムードを醸し出すアプローチになります。

親しい間柄ならでは、通用するやりかたです。

最強! 関西おばちゃん風

遺族の顔を遠くに見つけるやいなや、歩いて近づいていきながら、「あんた、もう・・・。ホンマに。つらいなあ・・・」と、対面する前からはじまってる、というやり方です。

これができるのは、おばちゃんの特権なので、使える人はぜひ使いましょう。

本題にあたる、第2センテンス・・お悔やみの言葉

弔問に訪れた側が遺族にかける言葉は、「短く簡潔に」が良い、とされています。

声をかけられた側の遺族が、多くをしゃべりはじめた場合には、それにあわせて相手が気が済むまで、妨げずに会話を続けましょう。

「短く簡潔に」というのは、「切り出し」「お悔やみ」「励まし」の3つのパートを、それぞれ短い3行ぐらいで構成します。

そこに、すべてのメッセージを詰め込む必要があり、その中でも、この第2センテンスがメインのパートになります。

寄り沿う言葉「大変だったねえ」

死因や状況がどうあった場合でも使える、わりとオールマイティな言葉です。

しかし、若干、”薄い”感じがする言葉ではあります。

亡くなり方が「”大変”の一言で済ませられない」というぐらいショッキングだった場合、それを知っている時には、これで済ませないほうが良いかもしれません。

また、相手の目を見て心を込めて言わないと、しらじらしい感じになります。

「他人事かい!」と思わせる言い方にならないように気を付けましょう。

もっと寄り添う「ああ・・・、もう、なんというか、本当に辛いよな」

上述の「大変だったねえ」よりももう一段、寄り添った感じが出せます。

「辛さが私にも痛いほどわかります」、「あなたの哀しみをを共有しています」、というニュアンスを伝える言葉です。

一緒に嘆く、「もうほんとに、なんて声かけていいか・・・。」

突然の不慮の死、のような場合に使える表現です。

やるせない気持ちを共有する、といった感情表現になります。

さらに強い表現をするなら、「こんなことがあっていいものか、と・・・」と怒りと哀しみをまぜた口調で言うのも、心がこもった感じになります。

他人による過失や故意、または人の力では抗えないような大きな力にやられてしまった、といった感情を、「受入れきれない」という嘆きと憤りの言葉で表現したものです。

故人を讃える、「よく頑張られたよな」

長期間にわたって病魔と戦ってきた末に亡くなった人などに使うと自然です。

病気の苦しみからようやく解放された、という状況を、遺族の側も受け入れていそうな場合にのみ使えます。

あっけない”死”に遺族が呆然としているような時には、決して使ってはいけません。

似たようなシチュエーションで、故人がとても高齢であった場合には、「よく生き抜かれましたね」という表現もあります。

しかし、十分に生きて満足かどうか、や、遺族が納得しているかどうかは他人にはわかりませんので、この表現には危険が伴います。

それだったら、「もっと長く生きていただきたかったです」とかの方がいいかもしれません。

ところで、この「よく頑張られたよな」は、よく頑張ったことを知っていた場合でないと、もちろん使えません。

訃報で初めて病床に臥していたことを知ったくせに、いきなり「よく頑張られた」と言われても、「あんた知らんかったやん」となりかねません。

そういう場合は、「こんなことになってたなんて、全然知らなかったから、びっくりしました。」と哀しみまじりの驚きを表現するのがいいでしょう。

「ご冥福をお祈りします」の出番はないかも?

いくつかの会話のあとに、自然に「ご冥福をお祈りします」とか「安らかに休んでほしいです」とかが繋がるとベストです。

しかし、自然な流れなしに、唐突にこれらの言葉がでてきてしまうと、突き放したような感じを出してしまうので、やめたほうがいいと思います。

どこか他人事のような、寄り添っていない感じ、ですね。

宗教的な注意も必要で、神道、キリスト教、浄土真宗では、宗派の教義にそぐわないため、「ご冥福」という言葉はふさわしくありません。

個別の宗派に詳しい場合には、「ご冥福」に代わる言葉を使っても構わないですが、いずれにせよ気持ちの共有を伝える言葉とは異なります。

親しい間柄のときには使う必要がない表現と思っておいていいかもしれません。

締めの言葉 ・・・ねぎらいと励まし

第3のセンテンスは、ねぎらいと励ましで、お悔やみを締めくくるものです。

いつまでも遺族を自分のところに留め置かず、挨拶を終わらせて離れるための、締めの言葉です。

定番の「力おとしのないように」

これはかなりオールマイティに使えます。

出だしの挨拶(第1センテンス)や、お悔やみの本文(第2センテンス)は、あまりに型どおりだと、親しい間にはそぐわないですが、締めの言葉だと大丈夫です。

普段でも、「さようなら」といった型で、親しい友人とも別れますもんね。

そして、不幸事のときの型が、この「お力落としがありませんように」だということでいいと思います。

ただ、遺族があまり神妙な様子ではなく、あえて元気いっぱいのふるまいを演じているときにこの言葉を使うと、水をさすことになってしまうので、そこだけは気をつけましょう。

もう一つの定番、「疲れが出ないようにな」

不幸に見舞われた一家のメンバーは、少なからず疲弊しています。

急死から間がないうちに駆け付けたようなときは、この言葉はおかしいかもしれませんが、お通夜やお葬式と時間が経ってくると、遺族はヘトヘトになります。

ですので、「お疲れが出ませんように」はしっくりくる言葉になります。

また、故人が長く病床にいた場合などは、長い闘病生活を支えた家族へのねぎらいの言葉として、この表現はふさわしいものになります。

気をつけて使う「しっかりするんやで」

不幸事によって打ちひしがれてしまった友人や親しい親戚に、励ましの言葉をかけたくなるのは当然です。

不幸にまけずに「がんばりや」とか、参ってしまわないように「しっかりするんやで」は、こちらの心情としては言ってあげたい言葉です。

しかし、使い方を間違うと、上から目線にみえたり、無神経に思えたりされてしまう場合もあります。

幼い子供を残して亡くなった人の伴侶を、極近しい親戚が叱咤をこめて言う場合、などのような特殊な場合に限られるかもしれません。

”励まし”であるという真意が伝わるかどうかを、しっかりと見極めた上で使いましょう。

いよいよ困ったときには、「式の最後までおらせてもらうから」

あまりに悲しいシチュエーションであったりすると、言葉も続かず、どうにも締めの言葉としての励ましもでてこない場合もあります。

そういう場合は、とりあえずその場を離れるための言葉で締めましょう。

お葬式やお通夜に来て、最後まで居る、というのは言うまでもなく当たり前なのですが、言葉の意味合いではなく、締めの挨拶、として使います。

まとめ とても難しい、親しい遺族への声掛け

あまり流暢に、お決まりの言葉をいうのもよくないですが、オリジナリティのある言葉となると、なかなか出てこないものです。

だからといって、声掛けできずに、黙ってる、というのは最悪です。

心がこもっていることが一番なので、必ずしも完璧な挨拶ができる必要は全くありませんが、なにか気持ちを伝えて、慰めの一助にでもなればと思うものです。

この記事に書いたような言葉をヒントに、親しい遺族への、心のこもった声かけをしていただければと思います。

では、またっ!

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